「所詮、人気商売がいつまでも続くとは思うな」矢沢永吉名言集

矢沢永吉は、日本を代表するロックミュージシャンです。1949年生まれの65歳で、「永ちゃん」として親しまれて、現在も現役で精力的に音楽活動を続け、老若男女を問わず、多くのファンの支持を得ています。
矢沢永吉は、20歳の頃、広島から上京途中で横浜に降り立ち、そこを拠点に自身のバンドを結成してライブハウスやキャバレーで音楽活動を続けていました。後に、メンバー募集の張り紙を見て集まったジョニー大倉などと共にキャロルを結成しました。自身はベーシスト兼ボーカルを担当し、「ルイジアンナ」でデビューし、「ファンキー・モンキー・ベイビー」などの大ヒットでその人気を決定的にしました。
1975年にキャロル解散後、ソロとしてデビューし、波乱万丈な人生を歩みながら、「時間よとまれ」等の多数のヒット曲を発表して、ロックスターの地位を譲ることはありませんでした。
そんな矢沢永吉には、数々の伝説や名言が語り継がれています。
前妻と離婚した際に、離婚の原因が矢沢側にあるとされ、支払った慰謝料がポルシェ3台と言われています。
そのポルシェで九州地方を飛ばして迷子になってことがありましたが、携帯電話のない時代に矢沢は、地元の暴走族を止めて発した言葉が「俺、矢沢だけど、国道まで案内してくれ」で、暴走族が先頭を争うように矢沢のポルシェを先導したという伝説が残っています。
そして、所属していた音楽事務所の上層部と、今後の活動と方向性について議論していた時に、「所詮、人気商売がいつまでも続くとは思うな」と言われたことに対して、矢沢は「お前らが何ぼ良い大学出て、何ぼ良い会社に勤めて、寝る間を惜しんでガムシャラに働いても、お前らが一生かかって稼ぐ金、矢沢の2秒」と切り返したという有名な伝説は、今でも強烈に残っています。
他にも、矢沢永吉がインタビューやメディアで発した台詞は視聴者に大きなインパクトを与え、良くも悪くも大きな影響力を与える大物ミュージシャンです。

 

 

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